観光できるの?できないの?色々あるよ!名古屋観光!

各地で猛暑日を記録している今日此の頃。

さすがに日中ポタリングは危険だ

しかしこの天気の良さにポタリングの虫はウズウズしている。

これはアレしかないな…

おもむろに目覚しを3時にセット。

そう!早朝ポタです。

日が出る前に現地に移動して、涼しいうちにめいいっぱい走り、昼前に帰還する。

朝が早いという欠点以外は理想的な計画です。

しかし3時というのは、朝というより深夜。。。

 

今回は何処に行くかというと、先日港付近を散策した名古屋。

前に名古屋でポタリングしたときは、ほぼ工場見学状態でしたが、名古屋にはまだ知らない魅力があるはず!

ということで3時に起床、準備して名古屋に出発!

丁度5時に前回も車を止めた稲沢公園に到着。夜明けです。

なぜ稲沢公園なのかというと、この公園は無料の大きな駐車場があるので長時間車を止めておくには最適な場所なのです。

 

少し走ると、シートレインランドの観覧車が見えます。

早朝は車がほとんど走ってなく、空気が澄んでて気持ちいい!

いつもならここから適当に散策するのですが、前回のように工場ばかり見ても面白くありません。

なので、あらかじめリサーチしてきた少し怪しげなスポットをメインに名所っぽいところを回ってみることに

ほぼビルしか無い名古屋駅周辺は避けて千種方面へ向かいます。

 

 

そして桃巌寺に到着。

鮮やかな緑色の大仏様が鎮座してます。

結構でかいです。

近くには切り落とされた仏像の手?があり異様な雰囲気です。

横からもパシャリ。

街中にあり、特に囲いもない綺麗な大仏様。シュールです(´・ω・`)

 

次に北へ走り、揚輝荘1)揚輝荘 元々は松坂屋の前身でもある「株式会社いとう呉服店」の初代社長・伊藤次郎左衞門祐民の別荘として、覚王山日暹寺(現在の覚王山日泰寺)に隣接する約1万坪(35,000平方メートル)の森を拓いて築かれた。1918年(大正7年)に最初の建物が移築され、修学院離宮を参考にした池泉回遊式庭園が造られるなどして、最終的に完成した昭和12-14年頃には移築・新築された30数棟があったという。大正から昭和初期にかけては皇族や華族、政治家や著名人の他に、外国人も多数訪れ、国内からの寄宿生に加えて、1935年(昭和10年)からは矢田部保吉駐タイ特命全権公使の要望を受け、タイ人の留学生の受け入れも行っていた。1945年(昭和20年)3月24日に空襲を受けて建造物の多くが焼失。また戦中は日本軍に、戦後は米軍に接収され、その後は松坂屋独身寮として使用された。敷地の多くが開発されて庭園も南北に分断されたが、数棟の貴重な建物と庭園が残されている。2003年(平成15年)から特定非営利活動法人揚輝荘の会が管理を行っており、2006年(平成18年)度末には土地建物が名古屋市に寄贈、2008年(平成20年)5月に市の有形文化財に指定された。へ。

到着。閉まってます(´・ω・`)

早朝なのでしかたないか。

門の上からパシャリ。

和と洋が融合したとてもお洒落な建物です。

 

すぐ近くにある日泰寺2)覚王山日泰寺 (かくおうざん にったいじ) は、愛知県名古屋市千種区法王町にある超宗派の寺院である。タイ王国から寄贈された 真舎利(釈迦の遺骨)を安置するために、創建された。「覚王」とは、釈迦の別名。また「日泰」とは、日本とタイ王国を表している。どの宗派にも属していない日本で唯一の超宗派の寺院であり、各宗派(現在19宗派が参加)の管長が、三年交代で住職を務めている(ただし境内北側に設置されている僧堂は、曹洞宗が管轄している)。住職は宗派の違うお経を上げることもあるという。なお真舎利は、本堂のある境内からやや離れた「奉安塔」の中に安置されている。境内には真舎利を日本に寄贈したラーマ5世の像もあり、在日タイ大使は誕生日に参拝するのが習わしになっている。また在日タイ人もしばしば参拝に訪れるという。毎月21日に、境内と約600メートルの参道に日用雑貨、生鮮食品、外食の屋台が100店ほど出店して、多くの人で賑わう。へ。

中はとても広く、中までアスファルトが敷かれてるので車で境内まで入れるというお寺にしては珍しい作りです。

立派な五重塔もあります。

そこから少し走ると

日泰寺霊堂。早い話が、お墓のマンションです。

横を見ると気になるロケット型のオブジェが見えます。

近くでよく見てみると慰霊碑らしい

なんだかとても気になる形です。※下ネタではありません。

 

そこから更に北に進んでいくと、またもやとても気になる建物を発見!

どこをどう進んでも近づくことができません。

仕方なく遠くからパシャリ。

ここは東山給水塔3)東山配水塔は名古屋市水道部(現・名古屋市上下水道局)の成瀬薫の設計による給水塔で、東山配水場の敷地内に1930年(昭和5年)3月に完成。鍋屋上野浄水場から送られた水を塔上の貯水槽までポンプで一旦押し上げ、自然流下による圧力を利用して覚王山地区の高台に配水していた。1973年(昭和48年)2月まで配水塔として使われてきたが、1979年(昭和55年)に災害時用の応急給水施設となった。ここには常時300m3 の水が蓄えられている。建設時の塔頂部は平らであったが、1983年(昭和58年)の改修時に尖塔状の屋根が付けられた。普段は非公開だが、毎年春分の日と8月8日(まるはちの日)には一般公開され、塔の中に入ることもできる。1985年(昭和60年)には厚生省の「近代水道百選」に、1991年(平成3年)には第2回の名古屋市都市景観重要建築物に選ばれた。という所で、どうやらイベント時しか近づくことはできないらしい。

 

さらに北に行くと、ナゴヤドーム!!

少し近づいてパシャリ。

警備員さんに注意され、すぐに退散。ケチ(´・ω・`)

 

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結構走りお腹も空いてきたので朝食を探してると

名古屋で有名なチェーン店コンパルを発見。

チェーン店といえば安っぽく聞こえるかもしれませんが、コンパルは昭和22年創業で名古屋独自の喫茶文化を牽引してきた有名なお店です。

モーニングを迷ったあげく、せっかくコンパルに来たんだからと、名物のエビフライサンドを注文!

少し待ってエビフライサンドが到着!

揚げたてらしく衣はサクサク、エビはぷりぷり!多めのキャベツがまたいい!うまい!

少し値ははりますが、頼んで正解でした。

 

お腹も満たされたところでゆっくりしていては猛暑にやれれてしまいます。

ということで、早々に出発!

コンパルから西に少し進んで到着!

さて、なんでしょう?

そう!徳川園4)徳川園 1695年に造営された尾張藩2代藩主徳川光友の隠居所の大曽根御屋敷跡(当時の敷地は約44ha)に築造された池泉廻遊式の大名庭園である。園内に配置された山、大曽根の瀧、渓流、龍仙湖、牡丹園、菖蒲田はそれぞれ、木曽山脈、木曽三川、伊勢湾、濃尾平野に見立てられてのものであり、自然の景観を凝縮している。これは、尾張国の、土地柄の豊かさを表現したものである。また園内の龍門の滝は、尾張藩江戸下屋敷戸山荘跡(現在の早稲田大学戸山キャンパス)から発掘された龍門の瀧の遺構を移設したものである。通常の流量は多くはないが、約20分おきに激流となる仕掛けを施して、下流にある飛石を水に沈めるというかつての戸山荘でのエピソードを再現したものとなっている。瑞龍亭は、尾張徳川家が織田有楽斎を流祖とする有楽流を重用していたことから、有楽好みとした三畳台目の茶室である。躙り口手前の燈籠も有楽好みの燈籠を再現したものである。敷地から離れて西にロータリーがあり、そこには古井戸と藪椿の姿が見えるが、これも古くは徳川園の一部であった。古井戸は明治期に作られたもの。藪椿は元は光友のお手植えだったが、やはり太平洋戦争時に失われたものの、今はその二代目が植えられている。園西側の黒門は明治22年に建立された欅づくりの三間薬医門であり、戦災を免れた徳川邸の遺構として今日に大名屋敷の記憶を留めている。

中に入ると

徳川美術館5)徳川美術館(とくがわびじゅつかん)は、愛知県名古屋市東区徳川町の徳川園内にある、公益財団法人 徳川黎明会が運営する私立美術館。1935年に開設された。収蔵品は駿府御分物(徳川家康の遺品)など尾張徳川家伝来の大名道具や他の大名家の売立てでの購入品、名古屋の豪商らからの寄贈品など。2016年現在で、国宝9件、重要文化財59件を収蔵する。国宝・源氏物語絵巻のほか、西行物語絵巻、豊国祭図屏風、「初音の調度」などの所蔵品で知られる。があります。

今は特別展「名刀紀行ー五箇伝巡りー」というのを開催していて、色々な名刀が展示されてるみたいです。

当然ながら、どちらも開演前で入れません(´・ω・`)

 

さらに西に進み

どーん!ひときわでかい門!

ここは徳川家霊廟があることでも有名な建中寺6)建中寺(けんちゅうじ)は、愛知県名古屋市東区にある浄土宗の寺院。江戸時代を通じて代々の尾張藩主の廟が置かれていた。1651年(慶安4年) に第2代尾張藩主徳川光友が、父である第1代藩主徳川義直の菩提を弔うために建立した。創建当時は周囲は石垣と堀で囲まれ、四万八千坪(158,400m2)の境内に多数の堂が立ち並ぶ規模を誇った。境内の東側には大きな松林があり、鬼門の方角は京都御所の「猿が辻」のように凹ませてあった。1785年(天明5年)の大火災で総門・三門などを除く多数の建物が焼失したが、翌1786年(天明6年)から1787年(天明7年)にかけて再建された。現在では境内の規模は創建当時よりも小さくなっている。

 

ひときわ派手な燈籠。

 

こちらが本堂。

 

横を見ると「愛に敵なし」の徳川宗春自販機があります。

なぜか加賀の棒ほうじ茶がすごい勢いでオススメされてます(´・ω・`)

いちばん大事な「徳川宗春天然水」はラベルが剥がれて悲惨なことに。。。

 

奥に進むと、白壁が綺麗な経蔵。

 

更に奥には葵の御紋が輝く御成門。

さすが徳川縁の地!スケールがでかい!と関心してる間に太陽はぐんぐん昇ってきています。

やばいな…

まだ前回の伊良湖バースト事件のトラウマがぬぐいきれてません(´・ω・`)

すぐさま建中寺を後にし、西に走り出します。

 

ここからはハイペースでいきます。

 

文化のみち二葉館7)文化のみち二葉館(ぶんかのみちふたばかん)は、愛知県名古屋市東区にある展示施設。1階では、大広間のステンドグラスや川上貞奴の生涯を紹介するパネルとあわせて、主に女優として活躍していた頃の資料、愛用の品など生活の様子を展示している。2階では、郷土ゆかりの文芸資料室として、近代文学の祖こと、坪内逍遙をはじめ、城山三郎(直木賞)、小谷剛(芥川賞)、江夏美好(田村俊子賞)、春日井建(迢空賞)など名古屋を中心とする郷土ゆかりの文学者および文芸作品を、資料やパネルで紹介。年に4回、特別企画展を開催している。

「電力王」と呼ばれた実業家福澤桃介と日本の女優第1号である川上貞奴が、1920年(大正9年)から1926年(大正15年)までの6年間を共に暮らした旧邸宅らしいです。

 

名古屋市市政資料館8)名古屋市市政資料館(なごやししせいしりょうかん)は、愛知県名古屋市東区白壁一丁目にある名古屋市の公文書館。名古屋城からは少し離れているが、名城公園の一部として扱われている。建物(旧名古屋控訴院地方裁判所区裁判所庁舎)は重要文化財に指定されており、名古屋市が設定する「文化のみち」の起点に位置付けられる。

西洋建築の建物がとてもステキです。

 

名古屋市役所9)名古屋市役所(なごやしやくしょ)は、地方公共団体である名古屋市の執行機関としての事務を行う施設(役所)である。1933年に竣工。これは政令指定都市の中では1927年竣工の京都市役所に次いで2番目に歴史の長いものとなっている。名古屋市役所は、本庁舎、東庁舎、西庁舎から成り、本庁舎の裏手に東庁舎、大津通をはさんで向かいに西庁舎が建てられている。本庁舎は昭和天皇即位の記念事業として建設されたもので、公募によって選ばれた平林金吾の設計を基にした、近代的なビルに和風の瓦屋根を載せた「日本趣味を基調とした近世式」の意匠が特徴的である。本庁舎は2014年12月10日に「名古屋市庁舎 1棟」として国の重要文化財に指定されたほか、名古屋市都市景観条例に基づく都市景観重要建築物ともなっている。テレビドラマや映画などでロケ地として使用されることもある。

ビルの上の方が和風の瓦屋根になってます。

 

そして、名古屋のシンボル名古屋城

何回も入ってるので、遠目から見てスルー

 

最後にナナちゃんに会いに行くと、ナナちゃんがおっちゃんに!(´・ω・`)

西郷どんのコスプレしてます。。。

近くに人だかりができていると思ったら、西郷どんの語呂合わせで3150本の白くまアイスバーを無料配布してるではせんか!

さっそく並んでっと

 

白くまアイスバーGET!

名古屋観光シメのデザートといったところでしょうか。

その後日陰を探しながら稲沢公園まで戻り、昼前に帰宅しました。

今回の走行距離60km、高度上昇265mでした。

 

観光地としては不人気な名古屋を今回は走ってみたのですが、色々探してみると怪しげなスポットがあったり、徳川家ゆかりの名所があったり、なにげに見過ごしてる建物がとても価値のある建築物だったり、モーニングが色々楽しめ、ナナちゃんが変身してたり、アイスが食えたり…と、かなり見どころ満載な街です!しかも人が少ないからゆっくり歴史に浸りながらじっくり観光することができます。

まだまだ魅力が隠れてそうな名古屋。みなさんも一度徘徊してみてはいかがでしょうか。

 

 

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脚注   [ + ]

1. 揚輝荘 元々は松坂屋の前身でもある「株式会社いとう呉服店」の初代社長・伊藤次郎左衞門祐民の別荘として、覚王山日暹寺(現在の覚王山日泰寺)に隣接する約1万坪(35,000平方メートル)の森を拓いて築かれた。1918年(大正7年)に最初の建物が移築され、修学院離宮を参考にした池泉回遊式庭園が造られるなどして、最終的に完成した昭和12-14年頃には移築・新築された30数棟があったという。大正から昭和初期にかけては皇族や華族、政治家や著名人の他に、外国人も多数訪れ、国内からの寄宿生に加えて、1935年(昭和10年)からは矢田部保吉駐タイ特命全権公使の要望を受け、タイ人の留学生の受け入れも行っていた。1945年(昭和20年)3月24日に空襲を受けて建造物の多くが焼失。また戦中は日本軍に、戦後は米軍に接収され、その後は松坂屋独身寮として使用された。敷地の多くが開発されて庭園も南北に分断されたが、数棟の貴重な建物と庭園が残されている。2003年(平成15年)から特定非営利活動法人揚輝荘の会が管理を行っており、2006年(平成18年)度末には土地建物が名古屋市に寄贈、2008年(平成20年)5月に市の有形文化財に指定された。
2. 覚王山日泰寺 (かくおうざん にったいじ) は、愛知県名古屋市千種区法王町にある超宗派の寺院である。タイ王国から寄贈された 真舎利(釈迦の遺骨)を安置するために、創建された。「覚王」とは、釈迦の別名。また「日泰」とは、日本とタイ王国を表している。どの宗派にも属していない日本で唯一の超宗派の寺院であり、各宗派(現在19宗派が参加)の管長が、三年交代で住職を務めている(ただし境内北側に設置されている僧堂は、曹洞宗が管轄している)。住職は宗派の違うお経を上げることもあるという。なお真舎利は、本堂のある境内からやや離れた「奉安塔」の中に安置されている。境内には真舎利を日本に寄贈したラーマ5世の像もあり、在日タイ大使は誕生日に参拝するのが習わしになっている。また在日タイ人もしばしば参拝に訪れるという。毎月21日に、境内と約600メートルの参道に日用雑貨、生鮮食品、外食の屋台が100店ほど出店して、多くの人で賑わう。
3. 東山配水塔は名古屋市水道部(現・名古屋市上下水道局)の成瀬薫の設計による給水塔で、東山配水場の敷地内に1930年(昭和5年)3月に完成。鍋屋上野浄水場から送られた水を塔上の貯水槽までポンプで一旦押し上げ、自然流下による圧力を利用して覚王山地区の高台に配水していた。1973年(昭和48年)2月まで配水塔として使われてきたが、1979年(昭和55年)に災害時用の応急給水施設となった。ここには常時300m3 の水が蓄えられている。建設時の塔頂部は平らであったが、1983年(昭和58年)の改修時に尖塔状の屋根が付けられた。普段は非公開だが、毎年春分の日と8月8日(まるはちの日)には一般公開され、塔の中に入ることもできる。1985年(昭和60年)には厚生省の「近代水道百選」に、1991年(平成3年)には第2回の名古屋市都市景観重要建築物に選ばれた。
4. 徳川園 1695年に造営された尾張藩2代藩主徳川光友の隠居所の大曽根御屋敷跡(当時の敷地は約44ha)に築造された池泉廻遊式の大名庭園である。園内に配置された山、大曽根の瀧、渓流、龍仙湖、牡丹園、菖蒲田はそれぞれ、木曽山脈、木曽三川、伊勢湾、濃尾平野に見立てられてのものであり、自然の景観を凝縮している。これは、尾張国の、土地柄の豊かさを表現したものである。また園内の龍門の滝は、尾張藩江戸下屋敷戸山荘跡(現在の早稲田大学戸山キャンパス)から発掘された龍門の瀧の遺構を移設したものである。通常の流量は多くはないが、約20分おきに激流となる仕掛けを施して、下流にある飛石を水に沈めるというかつての戸山荘でのエピソードを再現したものとなっている。瑞龍亭は、尾張徳川家が織田有楽斎を流祖とする有楽流を重用していたことから、有楽好みとした三畳台目の茶室である。躙り口手前の燈籠も有楽好みの燈籠を再現したものである。敷地から離れて西にロータリーがあり、そこには古井戸と藪椿の姿が見えるが、これも古くは徳川園の一部であった。古井戸は明治期に作られたもの。藪椿は元は光友のお手植えだったが、やはり太平洋戦争時に失われたものの、今はその二代目が植えられている。園西側の黒門は明治22年に建立された欅づくりの三間薬医門であり、戦災を免れた徳川邸の遺構として今日に大名屋敷の記憶を留めている。
5. 徳川美術館(とくがわびじゅつかん)は、愛知県名古屋市東区徳川町の徳川園内にある、公益財団法人 徳川黎明会が運営する私立美術館。1935年に開設された。収蔵品は駿府御分物(徳川家康の遺品)など尾張徳川家伝来の大名道具や他の大名家の売立てでの購入品、名古屋の豪商らからの寄贈品など。2016年現在で、国宝9件、重要文化財59件を収蔵する。国宝・源氏物語絵巻のほか、西行物語絵巻、豊国祭図屏風、「初音の調度」などの所蔵品で知られる。
6. 建中寺(けんちゅうじ)は、愛知県名古屋市東区にある浄土宗の寺院。江戸時代を通じて代々の尾張藩主の廟が置かれていた。1651年(慶安4年) に第2代尾張藩主徳川光友が、父である第1代藩主徳川義直の菩提を弔うために建立した。創建当時は周囲は石垣と堀で囲まれ、四万八千坪(158,400m2)の境内に多数の堂が立ち並ぶ規模を誇った。境内の東側には大きな松林があり、鬼門の方角は京都御所の「猿が辻」のように凹ませてあった。1785年(天明5年)の大火災で総門・三門などを除く多数の建物が焼失したが、翌1786年(天明6年)から1787年(天明7年)にかけて再建された。現在では境内の規模は創建当時よりも小さくなっている。
7. 文化のみち二葉館(ぶんかのみちふたばかん)は、愛知県名古屋市東区にある展示施設。1階では、大広間のステンドグラスや川上貞奴の生涯を紹介するパネルとあわせて、主に女優として活躍していた頃の資料、愛用の品など生活の様子を展示している。2階では、郷土ゆかりの文芸資料室として、近代文学の祖こと、坪内逍遙をはじめ、城山三郎(直木賞)、小谷剛(芥川賞)、江夏美好(田村俊子賞)、春日井建(迢空賞)など名古屋を中心とする郷土ゆかりの文学者および文芸作品を、資料やパネルで紹介。年に4回、特別企画展を開催している。
8. 名古屋市市政資料館(なごやししせいしりょうかん)は、愛知県名古屋市東区白壁一丁目にある名古屋市の公文書館。名古屋城からは少し離れているが、名城公園の一部として扱われている。建物(旧名古屋控訴院地方裁判所区裁判所庁舎)は重要文化財に指定されており、名古屋市が設定する「文化のみち」の起点に位置付けられる。
9. 名古屋市役所(なごやしやくしょ)は、地方公共団体である名古屋市の執行機関としての事務を行う施設(役所)である。1933年に竣工。これは政令指定都市の中では1927年竣工の京都市役所に次いで2番目に歴史の長いものとなっている。名古屋市役所は、本庁舎、東庁舎、西庁舎から成り、本庁舎の裏手に東庁舎、大津通をはさんで向かいに西庁舎が建てられている。本庁舎は昭和天皇即位の記念事業として建設されたもので、公募によって選ばれた平林金吾の設計を基にした、近代的なビルに和風の瓦屋根を載せた「日本趣味を基調とした近世式」の意匠が特徴的である。本庁舎は2014年12月10日に「名古屋市庁舎 1棟」として国の重要文化財に指定されたほか、名古屋市都市景観条例に基づく都市景観重要建築物ともなっている。テレビドラマや映画などでロケ地として使用されることもある。

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